1日の出来事を話して、手作りのご飯を食べて…、何気ない時間のつみかさねが家族をつくる。

「猫たち、ほんとかわいいんです」という言葉とともに、やよいさんの表情がふわっと柔らかくなりました。
保護猫5匹、みよちゃん、パパさん、やよいさん、みんな血のつながりはありません。「一緒に元気に過ごせたら嬉しい」。やよいさんが思う「家族」についてお話を聞かせてもらいました。
ー家族構成を教えてもらえますか?
里母さん、里父さん、猫5匹と私で暮らしています。今は養子縁組を済ませています。幼少期は、母1人、子1人の母子家庭で育ちました。
私が11歳の夏、母は乳癌を患い、見つかった時点ではもう手遅れだったそうで翌年の3月に亡くなりました。母の友人である、みよちゃんが今の里母さんです。
ーお母さんと里母さんとは仲が良かったんですね。
母とみよちゃんは、中学校時代の同級生でした。母は20代前半に両親を亡くしており一人暮らしをしていました。みよちゃんは母のことをとても気にかけてくれていて、私が生まれる直前は、3日に一度はみよちゃんのお家に泊まりに行くという生活だったそうです。
母の友人としてのみよちゃんでしたが、幼い私にとってもいつも遊んでくれて何でも話せる自分の友人のような存在でした。
ーお母さんが亡くなってから、みよちゃんとの暮らしがすぐに始まったのですか?
母の癌が見つかってから、月に一度1週間の入院をして放射線治療が始まりました。自分が入院している間だけ私の面倒を見てもらえないかと親戚にお願いしてくれたのですが高齢という理由で断られ、みよちゃんに私をお願いしようかということも考えたそうですが、迷惑をかけてはいけないと思い止まったようです。
私は毎月その1週間を、児童養護施設で過ごすことになりました。
ー児童養護施設での生活はどうでしたか?
突然生活が変わってしまい、友達や知ってる人がいない心細い日々でした。ご飯が食べられない時もありました。当時、施設に預けられるという説明があったのかも知れませんが、混乱してたんでしょうね、気がついたら毎月1週間は施設で生活していたという感じです。
母の病状が悪化し12月には退院する事が出来なくなり、同時に、母と暮らしていた家には帰れなくなりました。施設のある校区の小学校に通うべきところ、これまで通っていた小学校の校長先生をはじめとする先生方、そして児童養護施設の方々がいろいろ考えてくださり、交代で送迎をしてくれたので小学校5年生の終業式までは転校せずに通学することができました。
ー6年生からは、施設の近くの小学校に転校したのですか?
本来ならそうなるのですが、みよちゃんの家に委託されることを見越し、6年生からはみよちゃんの家の校区にある小学校に転校しました。
ー「見越し」ということは、この時点ではまだみよちゃんとの生活が始まってなかったのですね?
児童養護施設で生活している時に、みよちゃんとパパさん(里父さん)から「私たちが里親登録したら一緒に暮らせるんだけど、どぉ?」と言ってもらっていましたが、いろんなことが急激に変化することについていけず、すごく嬉しい気持ちと、これからどうしたらいいんだろうという気持ちで、すぐに決めることができませんでした。
母が亡くなってから母の代わりに授業参観に来てくれていたみよちゃんは、小学校の校長先生に、私の里親になってあげてくれないかという提案を持ちかけられて「里親」になることを考えてくれたようです。
みよちゃんの家での生活が始まったのは、6年生の11月です。
ー生まれてからずっとみよちゃんが寄り添ってくれてたんですね。
母が生きている時から、みよちゃんとパパさんが家に来て4人で焼肉をしたり、時には、みよちゃんとパパさんと私の3人で遊びに行くこともありました。
施設で生活していた時もずっと気にかけてくれていて、本当に心強かったです。
ーいろんな気持ちの流れを経て、みよちゃんとパパさんとの生活が始まったのですね。
里親になるよって何度も言ってくれていたこと、私の部屋を用意してくれたこと、そして、私自身も心の整理ができてようやく決めることができました。
みよちゃんたちが、近所の方に「これから里子を迎え入れますのでどうぞよろしくお願いします」と事前に挨拶してくれていたので、暮らし始めて間もない時でも「この子どこの子かな?」という目で見られることはありませんでした。「行ってきます」と挨拶すると「行ってらっしゃい」と応えてくれるし、学校から帰ってきた時には「おかえり」と声をかけてくれ、とても自然に地域の人に受け入れてもらえたなと感じています
ー新しい暮らしが始まった時はどんな気持ちでしたか?
私の家には母しかいない、でも友達の家には普通にお父さんがいて、おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて…。幼い頃の私は、友達の環境をとても羨ましく思っていました。
自分にとって初めて、父、 祖父母、さらに叔父叔母という存在ができたこと、そして親戚のみんながwelcomeな感じで迎えてくれたことがとても嬉しかったです。
ー大きな変化だったなと思うことはありますか?
食事についてだと思います。レトルト食品やお惣菜で食事を済ませる事が多かったので、親子丼、八宝菜や卵焼き、スパゲッティなどはあまり好きなメニューではありませんでした。みよちゃんの家に来て手作りの料理を食べるようになってから「美味しい!」って思う大好きなメニューになりました。
「食べる事は一生ついてまわることだから、自分でご飯を作れるようになろう」というのがみよちゃんの教えで、料理の仕方も教えてくれました。「私の作る味の元祖はばぁちゃんなんやで」とも話してくれ、みよちゃんに伝わる味を私も再現できるようレシピノートを作っています。

ーやよいさんの得意料理はなんですか?
炊き込みご飯です。笑
ーみよちゃんの家での様子、とても楽しそうな雰囲気が伝わってきます。一方で、大変だな、辛いなと思ったことはありますか?
里子は18歳まで、保険証の代わりに受診券というものを支給されます。どれだけ説明をしても、「これでは受診できない」と言われたことがありました。 初めての病院へ行く度に、「受診券の説明をしなければ…」「わかってもらえるかな」、と緊張や不安がありました。
住民票をもらいに行った時には、市役所の職員さんが言いにくそうに「やよいさんとご家族さんとの関係は同居人という書き方になってしまいます。」 と書類を渡してくれました。一緒に生活をしていても「里子」ではなく「同居人」になるんだと寂しかったです。
ー制度的に浸透していないことがあったのですね。
中学校、高校、看護学校と進学しましたが、学校側としても里親、里子は初めてのケースで手続きが難しかったようです。
私は中学校から本名ではなく、普段はみよちゃんの名字を名乗っていましたが、卒業証書などは本名で書かれ、呼ばれます。周りの友達に気づかれないかとドキドキしていました。そんな気持ちに寄り添ってくれていた中学校の校長先生が、「高校側に名前の事は伝えているから安心して受験してきてね」と声をかけてくださり、自分の状況を理解して気にかけてくれる人がみよちゃんやパパさん以外にもいるということがこんなにも安心につながるんだなと、今も心に残っています。
ー今まで考えたこともなかったです。新しい環境、新しい場面では大変でしたね。
ことあるたびに里子という自分の立場を痛感するようになりましたし、社会の中ではまだまだ里親制度がちゃんと理解されていないのかなと感じることがありました。 つい周りの人と比べて悲しくなった時もありました。
でも、乗り越えられたのは、たわいのない事でも逐一話せる家族がいたからだと思います。話を聞いてくれる人がいる、守ってくれる人がいると思えることが何よりも大きな安心感でした。

ー最後に、やよいさんにとって「家族」とはどういうものですか?
今まで、家族=血のつながっている人達という考えでした。
でも今私が暮らしている家ではみよちゃん、パパさん、私の3人とも、さらに猫たちもみんな別々のところから保護したので、誰も血のつながりはありません。
一緒に暮らして、一緒にご飯を食べて、笑ったり泣いたりケンカしたり仲直りしたり、普段の何気ない日常を一緒に過ごすことで自然と家族になっていくのだと感じています。





