今がいちばん幸せなのかもしれません。

「今がいちばん幸せなのかもしれません」と語るのは、78歳(取材時)の仲さん。かつては食堂を営み、今も地域の人にお弁当を作り続けている彼女は、養育里親・一時保護・レスパイト・週末里親と、さまざまな形でこどもたちを温かく迎え入れています。その朗らかな笑顔の裏には、戦後、ヤングケアラーとしてきょうだいを支えながら懸命に働いてきた過去がありました。彼女の原動力となっているのは、これまでの人生で出会った人々との縁、そして里子さんと過ごすかけがえのない毎日です。
ー里親制度をどのように知ったのですか?
古座川町の役場で、たまたま里親のパンフレットが目に留まったのがきっかけです。亡くなった主人は反対していましたが、私は「何か意味があるのかな」と直感的に思いました。ずっと「誰かの役に立ちたい」という気持ちがあったのでしょうね。年齢が心配だったのですが、「里親支援センターほっと」に相談すると「年齢は関係ないよ」と言ってもらえて安心しました。
ーどのような経験が、里親登録につながったのでしょうか?
ここまで生きてこられたのは、周りの方々のおかげです。特に、10代の頃に出会った呉服屋のご主人と奥さんの存在が、大きなきっかけになったと思っています。
お酒ばかり飲んでいた父は、末の弟が生まれたときには出て行ってしまいました。私は6人きょうだいの長女だったので、毎日母の手伝いをしながら下の子たちの面倒を見ていましたね。粗末な家に住み、家族みんなで一枚の布団で寝ていました。近所の人にお風呂を借りたり、髪を切ってもらったりしたこともあります。
最も記憶に残っているのは、スーツを着た2人の男性が、生まれたばかりの末の弟を連れて行こうとした出来事です。あまりにも衝撃的で、必死で弟を奪い返したことが今でも頭にこびりついています。母が施設に預けようとしたのか、はっきりとは覚えていないのですが。
戦後の貧しい時代に子育てをしていた母は、いつも泣いていました。順番にきょうだいの首を絞めながら「よう殺さん」と言ったこともあります。
住まいを転々として家の手伝いをしていたので、学校にもほとんど行けませんでした。そのせいで中学の出席日数が足りなくて、卒業式のときに卒業証書をもらえなかったのです。母に「就職のために必要だからもらってきて」と言われ学校に戻ったのですが、式はもう終わっていて……とてもつらかったです。
そんな中、地域の呉服屋さんで働くようになりました。住み込みで6年間お世話になったので、ご主人と奥さんには戸の開け閉めや食事の作法など、何から何まで教えてもらいました。普通の家庭で当たり前のように覚えていくようなことを、そのとき初めて知ったのです。母が子宮がんになった時期でもあったのですが、なんとか乗り越えることができてご夫婦には本当に感謝しています。
でも、私だけでなくみんな大変でした。宮城まり子さんの『ガード下の靴磨き』の歌詞のように。今のこどもたちには、私と同じような思いをしてほしくないんです。だからこそ、社会的なサポートが必要なこどもに少しでもかかわらせてもらって、その子の人生に何か思い出として残ってくれたらうれしい。「つらいことがあっても、妖怪ババみたいな変なおばさんおったな」と思い出してくれたらいいかなって(笑)。
ー実際に里子さんを受け入れるまでに、どんなことをされましたか?
最初に里親になるための研修を受けました。皆さんとても親切で楽しかったです。実習では、児童養護施設のお祭りに行って小さな女の子の担当になりました。その子は明るくて、かわいらしくて。活発だったので、けがをしないように気をつけながら、一緒にいる時間を楽しく過ごしてもらえるように接しました。
お祭りの途中で、私が何気なくかき氷をすくったスプーンを彼女に差し出しました。そしたら、すっと口を開けて食べてくれたのです。お互いに言葉を交わさなくても、気持ちが通じ合ったというか。自然と信頼関係のようなものができたのを感じました。
その後、月に一度ボランティアで会いに行くようになり、徐々にお互いの心の距離が近くなっていったと思います。交流を続けていくうちに「おばあちゃんの家に行きたい」と言ってくれるようになり、実親さんの理解も得て「週末里親」として迎え入れるようになりました。

ー週末里親以外に、里親活動は何かされましたか?
同じ地域に住む里親さんの一時的な事情により、ほっとさんを通して、小学1年生の女の子を1週間預かることになりました。「レスパイト」というそうですね。特別なことは何もしていませんが、朝ご飯を食べて、学校が遠いので車で送り迎えをしました。道中、いろいろな話をするのが楽しかったです。私の好きな『ドレミの歌』を2人でよく歌ったので、思い出の歌になりました。
ー里親をやっていて大変だと感じたことはありますか?
全然ありません。「この子に何ができるだろう」と考えるので、うれしさの方が大きいです。にっこり笑ってくれたら……私にとっては笑顔がごちそう。ご飯作りも大好きです。もともと食堂をしていて、今でも地域の人にお弁当を作っていますから。毎日お気に入りの曲を聴いて、踊りながら作っています(笑)。
ー現在は一時保護で中学生の男の子を受け入れているそうですね。
ぶっきらぼうなところもありますが、この子の気持ちの扉を一つひとつ開いて、なんでも話してくれるような関係になれたらうれしいです。「ここにいたい」と言ってくれるなら、いつまでもいてくれていい。「嫌や」って言われないように気をつけなきゃ(笑)。何がうれしいといったら、やっぱり笑顔。かわいいのです。(男の子は後日、一時保護から仲さんの元へ里親委託となりました。)
ー男の子と暮らすようになって、生活や気持ちに変化はありましたか?
一人では足を運ばない場所も、この子が「行きたい」と言ったら一緒に行きます。おいしそうにご飯を食べているのを見ていると、なんだか私も食欲が湧いてくる。以前は中華料理店に行っても小さなラーメンしか食べられなかったのに、今では普通サイズを完食できるように!2人でポテトも食べるんですよ。
一緒に住んでいる私の長女も大切に思っています。今度、この子の好きな飛行機を見に、みんなで伊丹空港へ行くことになりました。
こどもと一緒にいることで、精神的にも肉体的にも、どれだけ豊かになれることか。これまでいろいろあったけれど、今がいちばん幸せなのかもしれません。これからも、この子と一緒に人生を勉強させてもらいます。
ー周囲の人には、ご自身が里親であることを話していますか?
里親のことを詳しく知らないお友達には、「人生を歩んでいくうえでとても価値があることだよ」と伝えています。同じ里親同士では、「こうしたい、ああしたい」という気持ちはありつつも、こどもの気持ちが大事なので、「お互い頑張ろうね」と励まし合っています。困ったときは、ほっとさんに相談すればいいので心配はしていません。
ー養育里親、一時保護、レスパイト、週末里親すべてを受け入れられるそうですが、今後も新たに他の里子さんを迎え入れたいですか?
母の代わりにきょうだいをワイワイ育ててきたので、何人増えても大丈夫です。私の長女も里親の研修を受けたので、将来跡を継いでくれるかもしれません。
これからの時代は、人とかかわり、助け合い、共生していける環境が必要だと思います。「自分さえよければいい」ではなく、お互いに手を取り合って困難を乗り越えていく。心のつながりが大事だということを、私たちの世代は経験から知っています。
さまざまな方と対話することによって、1つのつながりが2つ、2つが3つになる。そういった機会を作り、輪を広げていけたらいいですよね。





